クラシック音楽の歴史的名盤について思うこと。その2
クラシック音楽の歴史的名盤について思うこと。その1

それから、人間というのは時に本人が思っている以上に表面的だと云うこと。特に権威的な見方をする場合は尚更怪しい。クラシック音楽の世界でも、美術の世界でも、過去、当人の存命時にはその音楽会だの美術界だのというお高く止まった社会に評価されず無名だった作品が、死後にとある切っ掛けから脚光を浴びて再評価されたり、或いはその時代に名を馳せた作品の評価が、後の時代に地に落ちたりします。その評価の再考の引き金になるのは、ある種の評論家の発言だったり、アーティストの言葉や発掘行動だったりする訳ですが、そんな状況で本当にその名盤が普遍的なものと云えるのでしょうか? だいいち、それらに靡いて数的評価を左右する人間、大衆の質はいつの時代もそうそう変わるものではないでしょう?
朝
基本的に私は大衆に評価される音楽というものは懐疑的です。その時代の空気を代表するという意味合いは別として、少なくとも音楽的に見れば、音楽が質的に優れているかどうかでレコードが売れるわけではありません。大衆の支持、レコードの売り上げならモーニング娘はあらゆるクラシックを超えた最高の音楽って事になる。クラシックのリスナーはそんなにバカじゃない?いやいや、同じ人間です。ただちょっと高いプライドを振りかざしてはいますが、平均化された判断力なんてそれ以外の人間との違いはありません。むしろ、勘違いとプライドが服を着て歩く薄っぺらい連中といったら袋だたきにされちゃうか(爆) ここまで言う以上、それはお前だろってツッコミは甘んじて受けるけどなw・・・orz

でも、大衆音楽がサービス・娯楽で、クラシック音楽が芸術・学問であるという考え方には心底同意できかねます。何か根本的に違いませんか?それは。

前述したように、名盤を定義する人、権威付け出来るつもりで居る人は数少ない上に、自己判断の出来ないリスナーはその権威になびきやすい。音楽を解っていそうな人物へ自己判断を、どうしても大衆は委ねてしまう。特にクラシック音楽のように本来の娯楽から離れて、不思議と学問の風味を帯びた世界では、そういったお仕着せの価値観が強くなります。音楽を体感、主観としての生きた芸術として感じる前に、音学w知識として頭で受け止めるような表面的な聴き方や、言葉遊びの解釈を是とする感性の貧しい知識人。そしてそんな一部の批評家の一方的な価値観のフィルターを介しつつ、大小様々な商業主義的販促キャンペーンの恩恵を浴びながら歴史的名盤が出来上がる。といったら斜めに見過ぎかしら?(その4へつづく)

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