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オーディオの文化と教養と成金趣味

【オーディオの文化と教養と成金趣味】
投資額と満足度ハイエンドその1ハイエンドその2|成金趣味

以前に書いた「管理人はハイエンドオーディオを好まない論」。一言で述べてしまうと「成金趣味が嫌い」と云う事について長々と説明したに過ぎなかったりしますけれども、これ、どうやら成金志向をハイエンドオーディオに投影される方々からは、負け組の僻み・・・ルサンチマン的な嫉妬の吐露として短絡的に捉えられがちだったりするみたいです…( ̄▽ ̄;)

拝金主義

しかしながら、管理人は中流家庭としてはそれなりに裕福な育ちで、学生時代、音楽学習やオーディオにかけるお金にはあまり困っておりませんでした。それでも、拝金主義的な成金趣味への感覚的な忌避感は、当時から変わらずそこはかとなく感じて来たと思いますので、こちら側からすると、単純なお金の有る無しでスタンスが変わる類の話では無いとも思っていたりします。

どうして成金趣味が嫌いなのか?を自問自答してみると、色々なことが僕自身の中の思想として浮かび上がってきます。これはオーディオという以前に、色々な音楽の中でも、何故にクラシック音楽に特化してずっと拘っているのか?にも通じるのですけれど、自分の中の「趣味性」というものは、即ち、文化的な思想哲学のライフスタイルを通しての表現という所に行き着くと考えるからです。

僕はこれを説明する際に、昔から「文化の薫り」という言葉を良く使うのですが、これは、音楽もオーディオも、そこへ集約される趣味性は、意識的にであれ無意識にであれ、つまるところ個々人の教養表現なのだろうとの考えに基づいています。日本語で「教養」と書くのは、文化やアートよりも学術的な知性と知識に比重が偏る印象があり、定義が狭まりすぎてあらぬ誤解を生みそうなのですけれども、此処では幅広くハイカルチャーやリファインメント諸々を含めた上での、芸術文化を基礎にした教養表現全般について指しているつもりです。

幼少期から育まれた芸術文化への憧憬、そこから派生した美意識、それらを包括する思想哲学と基督教文化・・・美術的な愉しみや文学的な学びもありますが、特に自己表現として形となっているのが音楽の趣味であり、楽器演奏であり、音楽観賞とレコード集めであり、その中の一部がピュアオーディオだったりもするわけです。要するに、市井の人ではあっても、云ってみれば属性として文化人の端くれでありたいとのこだわりと矜持があるのですね。

成金趣味

そういった視点から俯瞰すると、私のオーディオシステム論は、様々な機材のコーディネートによって、文化教養面でのセンスと品位を表現する手段という側面があり、純粋に音楽を愉しむためのツールという本質のみならず、身近な文化財としての趣味性の発露が複雑に混在しているとも云えます。因みにこれ、成金趣味とは逆方向とは云え、ある種の趣味性の偏りでもありますから、ともすれば音楽再生装置としての純粋な性能追求を毀損している可能性があるのは、実のところ明確に否定することが出来ません。虚栄心の発露の方向性が違うだけ・・・だと云われてしまえば返す言葉も無かったりします。

この文化教養主義を負の側面として捉えた場合、自己の内面も含めて(私程度のレベルでは)、裏を返せばスノビズムの要素が多々含まれる点も否定できず、成金趣味や重厚長大思想など、対比する価値観を暗に見下すが如きプライドが少なからずあったりもします。そのような視点からオーディオ趣味を捉えた際に、誰にでも分かり易くいかにもな高級品を見せびらかす姿というのは、表層的で安っぽく、恥ずかしく品位に欠けるものであるといった忌避感が、僕自身の中には根強くあるのだろうと感じます。グリム童話の喩え話にある、ものの本質や真の価値がわからない裸の王様をあざ笑う感じです。・・・でもこうやって俯瞰して書いてみると、どうしてどちらもなかなかに趣味が宜しくないですわね・・・(滝汗)

ハイエンドオーディオ

ハイカルチャー指向に基づく文化教養的な視点から、拝金的でブランド宗教的な一部のハイエンドオーディオに敢えて眉を顰めた場合、付加価値という詭弁に粉飾された絢爛豪華な品々に飛びつく成金趣味に違和感を感じるかは、こちらの極端なYouTube動画を観れば端的に表現されていると思います。ここまで露骨な御仁はそんなに居ないとは思いますが、オーディオへの課金が音楽そのものへの教養と反比例しがちな多くのハイエンダーさんの趣味趣向を突き詰めてみると、どうも彼らの本音はこの辺りにあるのかなと。。。

つまるところ、物事の価値判断が金銭的な価値と正比例的に強く結びついていて、あまたの例外や反比例を見極めるに必要な知性と教養に欠けた、より高価である程優れる(≒安価な物は見縊る)との思い込みが、成金趣味を憚らない人々にとっての信念としてハイエンド界隈では肯定的に受け入れられがちだと思うのです。実用性に乏しいハリボテの如き超高級車や、ある種の女性が容姿に不釣り合いな高級ブランドを身に付け、指輪や宝石を見せびらかして歩くのと同じく、拝金主義という金銭信仰の具現化ですね。ちなみにこれ、心理的にみると「善悪と強弱」、「力と正義」を同一視するタイプにも見られる傾向で、本当にお金持ちかどうかとは実はあまり関係ないように感じます。

ハリボテの裸の王様に喩えられることを忌々しく思う成金趣味界隈は、この手の批判に対し、判を押したように「ルサンチマン」と云う言葉を吐き捨てて納得されようとします。けれど、脂ぎった醜態を晒されたこちら側が、失笑こそすれどうして羨ましくなれるのでしょう?彼らは他者から羨まれたくて大金を掛けているのに、目論見通りに羨まれないことを苦々しく感じる。けれどもその本質が理解出来ないので、ルサンチマンと決めつけて思考停止しかするしか無い。ハイエンドオーディオでマウントを取り合う彼ら自身の目的が嫉妬に始まる優越感の獲得だからこそ、そもそも金銭的上下関係の介在しない価値観の存在が良く理解出来ないのです。それが拝金主義が行き過ぎて人としてのモラルを失った、心の貧しい一部のハイエンドマニアのさもしい実態だと思います。

ハイエンドオーディオ

敢えて金銭的な物差しを当て嵌めつつ文化教養的にオーディオ趣味を捉えるなら、、、純粋に出音を聞き分けることで金額の多寡に囚われないシステムを組めたり、高品位なシステムを安価に構築するために創意工夫する事こそが智慧であり、高い知性と経験と感性無くしては成し得ない趣味性の証左になると思っています。価格バイアスを排除し、実質を見極め、安直に高額品に頼らないスタイルこそが、誰でもお金を積めば手に入る成金趣味よりも遥かに高度で、音楽の本質に寄り添った深い真理の探求に結びつく筈です。また、やたらに高価な新製品よりも、今現在の市場価値に拘らず、修理を続けて長く使い続けてきた古いものに、人の生き様を映したより深い味わいと、本質的な価値を見出すヴィンテージオーディオの考え方にも繋がるように思います。

人間の内面は複雑ですので、多くの方々は、根源的な拝金的価値観を大なり小なり内面に持ち合わせていると思いますし、僕のオーディオ趣味にもこういった成金趣味的要素が全く無いとは到底言い切れません。しかしそれらへの自戒を込めたアンチテーゼとして、現代社会では超マイノリティ側になってしまった文化教養主義を志すことで、資本原理主義が生んだニューリッチのセンスを低俗で趣味の悪いものとして見下すスノビズムもまた、私を含め、ある種の趣味人、文化人の皆さんが内面的に抱えている矜持でもあり、それを立脚点が異なる視点から覗き見ると、理解しがたい負の要素にもなり得るのだろうと思います。どちらの患いがより重いかは、個々人が置かれた環境もありますし、人それぞれなのでしょうけれども・・・( ̄∇ ̄;)

【オーディオの文化と教養と成金趣味】
投資額と満足度ハイエンドその1ハイエンドその2|成金趣味

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コメント一覧 (11件)

  •  苫米地センセイの自慢動画を冒頭三分だけ眺めました。
     仰られるように極端な例としても、ハイエンダーと呼ばている方々は想像以上、正確には想像未満に悪趣味のようですね。オーディオ雑誌や展示会には一切触れたことがないので、ハイエンダーの方々の実態をよく知らなかったのですが、これからも触れないでおこうと改めて思いました。

  • 3分でギブアップ・・・ですよね。私も最後までは観てられませんでした。この先生の持ち物って、所謂ハイエンダーさん界隈に崇拝されて好まれている製品の王道を揃えたものなんです。超高級機やアクセサリは種類が限られますので、お金持ちに人気のある物を組み合わせると、みな似たり寄ったりのシステムになるみたいです。もちろん、使いこなしや部屋環境諸々で、似たような製品にもかかわらず、それぞれは天と地ほどの全く違う音に仕上がるのが、オーディオの面白くも難しいところではありますけれども。
    どんなに高級な製品を揃えてもグチャグチャの音にするのは簡単で、まともな音に調律するのは結局のところ至難の業という部分は変わらないというか、むしろ限界値が高くて変化幅の広い高級機ほど、使いこなしが天文学的に難しくなるんです。まともな音が出ないから高級アクセサリが芋づる式に必要になり、セッティングが泥沼化して、いつのまにか音楽観賞が疎かになる。某Twitterランドの空気録音をご覧になると判ると思いますが、無意識に音楽がオーディオのテスト信号みたいな扱いになってますよね。なんかああいうの、私がこのブログで目指している音楽のためのオーディオと、根本的にアプローチが違うなぁと。

  • 箱ピュアで昔から紹介してきた、程々の価格で、程々にHi-Fiで、レンジの広がりも程々のコンパクトなオーディオシステムって、数百万円~数千万円もするハイエンドオーディオの深遠?泥沼?のようにアプローチできる限界値が高くはありません。そもそも生活を豊かにサポートするの為のオーディオで、オーディオありきで生活空間を犠牲にするという選択肢は例えそれが如何に高音質だとしても対象外にしています。
    その代わり、アクセサリに拘らず、ミニコンポのような適当な台の上へのポン置きでもそれなりに音楽が愉しめますし、ハイエンドシステムに多い気象条件や電源変動で激変し、音楽が楽しめなくなる程のデリケートさは無くとも、ちょっと良いアクセサリを奢ってあげればそれなりに反応して、それぞれが好みの音質に、元音楽が破綻しない程度に、調律、コントロールする趣味的な余地もそれなりにあったりします。
    沢山の音楽を享受したい音楽ファンにとって、家庭で長時間音楽を聴いても聴き疲れしない音量で、一年中忌憚なく音楽を愉しむためには、実用性の最大公約数を満たしたこういうシステムの方が、リスナーの幸せに広く貢献するというのが私の持論です。

  •  金銭を捻出できない。という問題もありますが使いこなしの難しさを教えられて余計に高級オーディオへの関心が薄まりました。ものぐさな性分なので、機械に使役されるようなオーディオは所有するだけで厄介に感じられます。
     プロの音楽家が商売道具としてのオーディオに拘るのは肯けますが、趣味者がそこまでしなくてもいいのではないかと、余計なお世話でしょうが心配してしまいました。

  • 追記
     コストも手間も惜しまず設計・製造された製品は、使い手への配慮も行き届いているので扱いも簡便だと思い込んでました。F1カーのように完全な玄人向け製品ならいざしらず、素人向けオーディオ機器で、高価なものほど取扱いが難しい。というのことに違和感を感じます。私の認識が甘いだけなのでしょうが、セッティンでヘトヘトになるくらいなら、そこそこの機器で、例えばアンプの下に石板敷いたら演奏が安定した!と喜ぶ程度に留めておく方が私には向いている。と感じました。

  • 追記その二
     予算が限られているのなら、レコード購入を優先して、時間が限られているのなら音楽を聴くことに費やしたいとも思います。

  • >金剛山さん
    ヘトヘトどころか、オーディオマニアにとっての買い換えとアクセサリ弄りは、セッティングの泥沼で苦行し続けることこそが人生みたいな勢いですから。車に例えるならスーパーハイエンドオーディオというものは、ベントレーやロールスロイス、フェラーリやランボルギーニを日本のせせこましい町中で走らせたらどうなるか?に実際のところ限りなく近いと思います。あれらは本来、オーディオでの再生のために広い専用空間を箱から設計して作ってしまえる限られた人達の為にあるようなものですから。
    モータースポーツファンが運転が好きで車を走らせることを愉しみたかったら、安いラリーカーやそこそこのスポーツカーを弄るほうが公道でも競技でもずっと速いし、技術も磨けるし、運転も楽しいよね?という。
    > 予算が限られているのなら、レコード購入を優先して、時間が限られているのなら音楽を聴くことに費やしたいとも思います。
    同感です。所謂ハイエンダーさんにも色々な方がいらっしゃるのですが、機材のグレードの壁を越えてお話が普遍的に参考になるのは、レコード蒐集であれ生演奏通いであれ、オーディオシステムよりも、ずっと音楽そのものにお金をかけている方々に限られると思います。

  • 技術的にはハイエンドは正しいのです。デジタルであってもピュアオーディオの場合アナログ系ですから物量投入はせざるを得ませんし。
    問題はグレードアップという買い替え前提で商売してきたモデルが崩れてしまい、高価格帯に逃げ込むしかなくなってしまいました。
    またオーディオそのものはとても進化したと思います。ただし、住環境が問題になるほど情報量が増えてしまい、きちんと再生できる人がいなくなってしまった。
    アナログや昔の製品に逃げ込むのは一般的な住環境で再生が容易なDレンジやFレンジの商品へ回帰しているだけかなと。

  • コメントありがとうございます。
    此処で述べているのは、技術的に正しいアプローチをした結果、コストに見合った高価格帯になってしまう名実共に高性能な製品群の話では無く、そういった製品と価格的に肩を並べつつ、イメージ戦略で性能や製造開発コストの実体とは乖離した価格帯まで釣り上げることを厭わない、ブランドビジネス化した製品群のことを指しているつもりです。近年のハイエンドオーディオ界隈は、前者よりも後者の比率が圧倒的に大きくなってしまいましたので。

  • 動画を見てて思ったのが、音楽を聴くためにオーディオをしていないんだろうなってこと。我慢できずに2分ぐらいで閉じましたが(笑) いくらオーディオに金を使ったのかは正確に覚えていて、聞かれてもいないのに買ったオーディオの値段の話をしてるのがスゴイ痛々しい。っていうかオーディオの話をすると言いつつ金の話しかしていない。これじゃオーディオが悲しむよ。ただ金を使って自慢したいだけなんだよな。その手段がオーディオってだけ。でもこういうことをやる人が増えると、オーディオの技術がどんどん下がっていって、エンクロージャーとかシャーシだけがやたらと立派なオーディオだけが市場に出てきて、詐欺みたいな物やメーカーで溢れる。そんで、被害を被るのはマジメなオーディオファンで、原因となった本人達はオーディオに飽きて車やらバイクを集めはじめてる。ひどい社会になったものだ。

  • 昨年の話ですが、とある場所で音楽ファンとしての立場から、社会常識を逸脱して高価格な一部ハイエンドオーディオの価値に疑問を呈してみたのです。

    結果、ハイエンダーさんに達に「値段は関係ない、値段を気にするのはおかしい」と諭されてしまいました。

    そして彼らは同時に、オーディオの買い物でクレジットカードの与信枠が膨らむのを自虐ネタのつもりで自慢し合ってる、それが狂っていることに気付かない・・・そんな感じでした。
    ハイエンダーさんって二言目には値段は関係ないと云うのですが、関係ないはずなのに安価な製品には目もくれませんよね。音では無く値段で無意識に足切りしてるから、安価な製品に音が良い物があろうが無かろうが、興味が無いので最初からスルーしてます。それで私もこちらは高級品には興味ないですからって皮肉で言ったら、ハイエンドオーディオを知りもしないで他人の趣味に文句言うなと反発されました。
    でも私が最先端のハイエンドを良く知らないように、あなたたちも普及価格帯のオーディオについてロクに知らないですよね?って反論すると、それについては自分らは知ってるって言われるんですよ。それで事実確認してみたところ、その知ってるの意味が、10万円クラスのケーブルやアクセサリを普及価格帯と認識された上で、それらの安物については試したので知っている、ダメだと論じていらしたので、もう絶対噛み合わないやこれはと諦めました。
    今のオーディオでハイエンド製品というと機器単体で数百万、ケーブル1本が数十万~100万円以上を指す物らしいのです。10万円のケーブルが高級だなんて言うと上から目線で馬鹿にされまくりです。こういう方々は、一般人とって10万円のケーブルがそうそう手が届く物では無く、それ以下の数千円から数万円の世界が、大多数の普通の金銭感覚の人達にとってどんな意味を持つのかもはや想像できないみたいですね。

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