ジョシュア・ベル 地下鉄でストリートミュージシャンになる

ジョシュア・ベル”Joshua Bell”と言えばこの逸話。2007年のことですが、ワシントンD.C.の地下鉄構内で、彼が素性を隠しお忍びでストリートパフォーマンスをしたところ、道行く殆どの通行人にスルーされてしまったという何ともいえないお話です・・・。 通路で演奏をした43分間に1000人以上の通行人がいたなか、ジョシュア・ベルの生演奏に幾許かでも関心を示したのは散発で僅かに7人のみでした。

outPearls Before Breakfast ワイントンポストの元記事(英文)

out上記の日本語訳その1(ままくんカフェ)
out上記の日本語訳その2(ままくんカフェ)
out上記の日本語訳その3(ままくんカフェ)
out上記の日本語訳その4(ままくんカフェ)

尚これはワシントンポスト紙による社会実験(心理実験)で、実験の趣旨を簡単に説明すると、人々は名声や立派なコンサート会場などの肩書き無しに、芸術を見抜き理解し得るのか?みたいな感じです。これ、ワシントンD.C.の通りすがりの人々(主に官公庁オフィス街のホワイトカラーインテリ層)が、本物の芸術を見抜く力?を持っているのか、実はそうでもないのかを表向き検証する傍ら、穿った見方をすれば、ジョシュア・ベル自身のバイオリニストとしての本当の実力を暗に問う二重実験になっているのがミソ。

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自分はジョシュア・ベルが道行く人々に殆どスルーされた主な理由は3つあると思います

1) 時間帯がおかしい
2) 彼がストリートミュージシャンの何たるかを殆ど表現していなかった事
3) そもそも表現力の面で求心力の強い演奏をするタイプのヴァイオリニストでは無い

1) 時間帯がおかしい

言葉通り。ビジネス街で通勤ラッシュ時間帯の冬の朝といえば、最も人の足を止めるのが難しい時間と季節です。

2) 彼がストリートミュージシャンの何たるかを表現していなかった事

若き日の美少年時代なら兎も角、ジョシュア・ベルは風貌も演奏スタイルも今となっては割と地味な演奏家。身長に比して演奏がコンパクトと云いますか、あのただのアメリカ人にしか見えない容姿で(ユダヤ系なのにユダヤ人にすら見えない)、更に敢えて地味な私服で棒立ちのまま動きの少ない演奏。しかもバッハの無伴奏Vnソナタとパルティータ~シャコンヌという、これまた素人受けしない選曲をされたら・・・、幾ら良い音が聞こえていても一般人の視界にはなかなか入らないですよね。殆どの人はきっとチラ見しても見た目でスルーでしょう。

これが例えば片足を突き出して表情たっぷりに長髪を振り乱したネマニャ・ラドゥロヴィチあたりでしたら、見た目もオモシロイしあっという間に人だかりになりそうですが・・・なんて。今回の実験ではストリートパフォーマーの人が持つ集客のための工夫や目立つ行為を一切省いた上で、クラシックのステージヴァイオリニスト(その中でも更に地味系)のままで黙々と弾きだしたら、当たり前ですが、余程の音楽通で無ければスルーしてしまと云う事でしょう。実際、足を止めて聴いていた僅かな数名は、バイオリンやギターの学習、演奏経験がある人だったり、ジョシュア・ベルのコンサートを数日前に体験し、本人だと気付いた人だったり。

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3)そもそも求心力の強い演奏をするタイプのヴァイオリニストでは無い

これを言ってしまうと角が立ちそうですけれども、ここは敢えてジョシュア・ベルに厳しい物言いをさせて貰うと、、それでも本当に人を感動させる力のある演奏でしたら、楽器問わずいつの間にか人だかりが出来るのではと思います。皆さんも人生で何度かそういう経験はありませんか? たま~に才能あるサックス奏者とかトランペットとか、ギターとか、まぁ何でもいいや・・・。駅や街角で、もう遠くから空間支配力高い音色の演奏が聞こえてきたりすると私軽くビビりますよ?そして、人を引き付ける”何か”が音に宿った奏者の場合、大抵は数人~十数人くらい聴衆が自然に集まって来る。場所と時間さえある程度選べば、それほど難しいことでは無い気がするんですよね。。。

私が思うに、前述のネマニャ・ラドゥロヴィチみたいな目立つ動きや格好だったり、演奏の質でも、例えばこれが↑の「五嶋みどりが弾くシャコンヌ」だとしたら、みんな結構立ち止まるのでは無いかと想像してみたり。みどりは震災後に日本をあちこちを廻ってらっしゃいましたが、彼女の演奏は掛け値無しに凄まじいです。巧いとか奇麗とか美しいではなく”凄まじい”。同じシャコンヌであっても五嶋みどりの場合は真に迫る表現力が圧巻ですし、集中すると妙な”ふいんきry”を醸し出して、更にちっこいあの容姿でドスも利いてますから、都内の往来の何処かで突然弾きだしたとしても、きっと程なくバレるのではと思います。

・・・あれ?もしかして日本の方が実は民度高いからか?なんて。そういえば、ジョシュア・ベルだと気付いた唯一の女性って古川さんという日系の方みたい。(しかもベルだと知った上で声を掛けて$20寄付。古川さん・・・それあべこべ・・その人は1ステージでいつも数百万円貰ってる億万長者ですぉ・・・(^^;)

何が言いたいのかというと、ジョシュア・ベルの演奏はたぶんハイエンド指向すぎるのです。音色が澄んでクリアで小奇麗で、上品で、そつが無く、パッションすら洗練の枠を超えてはみ出すことも無く、アメリカ上流階級の、クラシック音楽を教養として身に纏うかしこまった聴衆の為に、ソフィスケートされた音楽って感じがする。女流ではヒラリー・ハーンなんかも、もう顔からして?そうですよね。※言っておきますけど管理人はヒラリー・ハーン超大好き。ジョシュア・ベルもそれなりに好き。

でもそういうのはやっぱり、我々クラシックリスナーには受けても、路上でクラシック音楽に興味が無い人も含めて人種問わず老若男女を振り向かせ、心を鷲掴みにする血の通った弾き方とは些か違うと思うのです。プロの演奏家として求められていることと、育った立ち位置が違うというのかな。。。(超ソフィスケート洗練上品系でも、ヒラリー・ハーンでしたら常人離れしたシャープでクールなオーラと美人過ぎてこれまた人が集まりそうですが・・・)

その中でも、ジョシュア・ベルってヴァイオリニストは、なんかこう、クラシックという箱庭を超えたレベルで、全世界の人々の心の素の琴線に触れるような、核心を突いた演奏が出来るタイプの音楽家では無いよね~と正直思ってしまうのです。悪く言えばスノッブな予定調和の中の箱庭的演奏。どれくらい普通かというと、ジョシュア・ベルって演奏家の特異点・・・特徴って何だろう?と考えた時に、クラヲタの管理人でも些か黙って逡巡してしまうくらいには地味。

CDやSACDでのオーディオ再生でも、一音目からスピーカーを超えてこちらに迫って空気を切り裂いて剔ってくるようなオッと云わせる演奏では無く、スピーカーの間に向かって意識的にこちらから聞き耳を立てていると、その洗練された音色の美しさに、いつのまにかウットリとした気分に浸れる・・・そんな感じのあくまで節度を保ったまま気品ある演奏をするのが彼の魅力だったりします。

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演奏家の本質的価値はむしろ内面的な表現力にあります

此処まで考えると、この実験には向かないであろうジョシュア・ベルを敢えて選んだ時点で、企画をしたワシントンポストの中の人の意図というか、おまえホントはジョシュア・ベルの事を演奏家としてどう思ってるの?とか内心でツッコミを入れたくなってしまう訳です。この実験結果は、クラヲタでジョシュア・ベルの演奏をよく知っていたら、あり得る方向性として実は容易に想像が付いた・・・と思うんですよね。だからこそワシントンポストの元記事では、表向きは通り過ぎる人々を朝食(豚)に真珠と揶揄しながらも、そこはかとなくクラシック音楽(・・・ってかベル)やスノビズムへの皮肉がこもっている気がして意地悪だな~なんて、事の顛末を見て管理人なんかは思ってしまふのでありんした。

最後に、このストリートパフォーマンス実験で彼が手にした金額は43分で$32.17(+古川さんの$20)。本人曰く、「これだけあればそこそこ生活できるから悪くないよね」。散々な実験結果にもかかわらず、凡庸なストリートミュージシャンではまず稼げない金額を何気に稼いでしまっているところがやっぱりユダヤ系の天性の才能なのかっ?・・・時給$50ですよ!。むしろこれだけ貰えるなんて、日々袋貼りと造花作りに精を出す管理人は素直に羨ましいでありんした~゜゜(´▽`。)°゜。

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