o-greenオーディオへの投資金額と満足度の関係について
o-greenアンチハイエンド!?〜管理人がハイエンドオーディオを好まない理由 その1
o-greenオーディオの文化と教養と成金趣味

私のオーディオへの最初の興味は、学んでいたクラシック音楽を、学習面と趣味の両面から、中学の入学祝いでいただいたビクターのCDラジカセより更に良い音で聴きたかっのが入口です。ステップアップとして、中学生当時としては贅沢なバブル時代の国産ベストバイ製品・・・「ステレオサウンド誌で高評価された」3点セット30万+αのシステムを揃えたところがオーディオ道の始まりまでした。あの頃はまだハイエンドと云っても100万を超える製品はそれほど多くなく、ステレオサウンドにも普通の価格帯の製品がそれなりに載っていたのですよねぇ・・・。
denon_bookshelf
今思えば只の世間知らずのお馬鹿さんですが、ひたすら細かなカタログスペックを比べつつ、最後は店頭比較試聴により予定機種の一部入れ替わりはありましたけれども、大筋に於いてオーディオ評論家の皆様の言い分と評価点を丸呑みでございました( ̄∇ ̄)
  

しかしこれが違和感の始まりで、思っていたような良い音がしない。というかオーディオ的には良い音なのでしょうけれど、毎日ピアノを弾き、楽器の生音が身に滲みついている自分には、かなりおかしな音にしか聞こえない。ある意味、使いすぎて故障したCDラジカセVictor RC-X7の方が、むしろ良かった気がする事すらあったり。

o-greenどんな高級オーディオよりBOSE SOUNDLINK MINIが一番良かった
※賛否両論あるかと思いますけれども、こんな風に感じる気持ちは良く分かります。
o-greenBOSEの新製品体験会2015に行って来ました〜♪

せっかく子供には身分不相応なシステムを買って貰ったのに、日々不満が募ってしまい、色々と音が不自然でおかしいとメーカーサービスにTELをして呼び出す呼ぶ始末でした・・・(滝汗)

Bose SoundLink Mini II
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当時はインターネットが未だ無い時代でしたので、良さそうな日本中のオーディオ店にご迷惑を顧みず相談電話をかけまくったり、買えもしないのに電車で行けるお店にあちこち顔を出して試聴してみたり、オーディオ雑誌やレコード雑誌に長文で内容について狂ってないかと某かモノを申したり、そんなこんなしているうちに、商売抜きに色々とお説教してくれた達人達のアドバイスで組み上がったのが、英国Wharfedaleの小型プックシェルフに、回路の部品点数が数えるほどしか無い英国CREEKの小さなMOS-FETアンプ、オーストリアで製造された蘭PHILIPSのポータブルCDプレーヤーAZ6829/06という組み合わせの超コンパクトシステムでした。当時それぞれ5万円程度の今で云うエントリーモデル。この3点セットの音が良いと当時のオーディオアクセサリー誌で紹介される少し前の話です。


見た目も本当に小さく軽くシンプルな構成でしたが、出てきた音にびっくり。最初から既にコンサートホールの音がする。そう、自分が体験して来たホールのあの音のエッセンスが、ステージからやや離れた少しミニチュアの箱庭サイズではありますけれども、音楽的抑揚と温度感、色彩感を伴って蘇ってきたのです。カタログスペックに誇るべき所は全くなく、今までの国産システムの半分の価格、サイズに至っては、CDプレーヤーは13國ポータブルの500g、アンプは17國4圈▲好圈璽ーもせいぜい1/3の容積です。もう、ね。当時の国産機が競っていた物量投入や重量、スペック競争は一体何だったのかと。ハイスペックで戦車のような筐体のオーディオを、安価で小さな欧州機が音質と音楽性の両面で軽々と凌駕してしまった。これが管理人が音と価格が必ずしも比例しないことを知る最初の切っ掛けになった原体験です。

シンプルイズベスト

今でも管理人が自宅で組んでいるいくつかのシステムは、基本的にこの経験をベースにして組まれていますが、結果的に私がオーディオエンジニアリングに求める理想と方向性は、シンプル&ストレート、最短、最小構成、シンメトリカル、振動モードの高品位化(高剛性化では無い)、筐体の小型化と軽量化、発音部の点音源化です。そして部品精度と品質の高品位化を意識しつつ、なるべくこれらの理想像に沿うような方向性を意識して現実的な妥協点を探るようにしています。

上記のようなスタイルでオーディオを追求すると、必要以上に高価な機材の殆どは設計思想の違いから必然的に選択肢から外れてしまいます。また、構成をなるべくシンプルで穏やかな方向に近づけることで、機材によって後付けで付加された付帯音の巧妙化による演出的で仮想現実的な歪みとダイナミズムが一枚一枚剥がされ、生演奏が存在し、尊重された音源とジャンルに於いては、より素の味に近い、元の音楽の演奏の意図とディテールが感じられ、あぶり出される様になる筈です。レンジや解像度などのHi-Fiオーディオ的な部分で表面的に劣っていても、機材構成と設計思想がシンプルであるが故に、音楽への恣意的な介在、良くも悪くも機器制作者の意思の介入による歪曲、色眼鏡、デフォルメ等々が少なくて済みます。その結果として、背伸びをせず虚飾を排した先にある真実の音楽がより鮮やかに聴こえるようになると云う意味です。

中身の豪華な機材では、時に実音以上の高音質を創ろうとして演出された響きやダイナミズムと、創作的で仮想現実的な空間表現の副作用に、音楽の本質がマスキングされて真実の姿が見えなくなってしまう。対してシンプルイズベターな方向性を指針にしてオーディオシステムの在りようを突き詰める場合、一部の例外を別にすれば、ハイエンドオーディオ全般としてより強くユーザーから要求される物量投入、大型化、高剛性化、極端な音質の先鋭化、存在価値をアピールする為の強い自己主張やアイデンティティの内在は、それらの大半が私のような立場の音楽愛好家にとって望まざる方向に向かってはいないか?との違和感を、それぞれ独特の世界観に彩られた、ある意味では素晴らしいサウンドから私はどうしても感じてしまうのです。それがある種イロモノじみた個性で勝負するハイブランドの饗宴であれ、今時のトレンドでもある、現実の演奏よりもクリアでワイドレンジで仮想現実的高音質感の演出であれ、其処にあるのは何れにしても異なるベクトルの違和感に過ぎないように感じます。

オーディオへのアプローチとして、音楽そのものをあくまで原材料扱いにして、ひたすら自分が望む理想の音空間を創作したい。音楽の内面に向かって受動的に聴き入るよりも、主役はあくまでオーディオを通して音質を聴く自己実現・・・という自由形的なスタイルでしたら、こんなことで悩む必要は無いのかも知れません。しかし私は、クラヲタの矜持として謙虚な姿勢で音楽に触れたい。自我だけでは気づけない、届かない領域に、ふとした拍子に気が付かせてくれるような音楽を聴きたい。これは元音楽の表現や精神性をどれだけ尊重するか?の、音楽に対して個々人が感じる在り様への哲学の違いから来ると思っています。

極上の普通

Twitterでとある方に指摘されたのですが、私がオーディオ機器に求めているものは、あくまで音楽再生の手段として、音楽にオーディオ機器が必要以上に干渉しない「極上の普通」なのかも知れません。いま其処にある自然な普通、普通の人々にとって身の丈に合った音楽のある日常生活のために、オーディオ機器には音質面でもその佇まいの面でも必要以上に出しゃばって欲しくないオーディオが趣味なのに変かも知れませんが、プライオリティの上位にあるのはあくまで音楽。音楽鑑賞の為のオーディオ機器であって、オーディオ趣味の為の音楽ではありません。音楽愛好家にとって譲れない本質は、豪奢で現実離れした機材の創り出す仮想現実よりも、音楽そのものが肌身に近いかどうか?なのです。そして大多数の普通の人々にとっては、それぞれの日常生活に於ける日々の営みが、音楽観賞も含めて、それらの先に立つべきライフスタイルオーディオの前提条件であり限定要件となる筈だからです。


そしてまた、音楽鑑賞のためのオーディオシステムだからこそ、最低限の初期投資は別にしても、機材への投資が、コンサート鑑賞のチケット代やレコード、CD等の音源収集、或いは楽器など、音楽そのものへの投資額を大きく上回ってしまうような逆転現象には、個人的に強い生理的抵抗感を感じてしまうのです。もちろんこれも個人的な趣味性に纏わる好みですので、あくまで人それぞれの話ではあるのですけれども、1人の音楽ファンの矜持として、そのように探求先が本末転倒した趣味人にはなりたくないと思っています。

音楽への共感と共有のために

私にとっての音楽は主観。そしてその本質は主観の共有です。

音楽の本質は共有です。音楽をするということは、
たとえ個人的なことから始まっても、気持ちを分かち合うということです。
                                  ヴラディーミル・アシュケナージ

1人でも多くの音楽ファンと同じ音楽を広く共有するために、音楽の再生機材はどのようなスタンス、方向性が望ましいのか?それを突き詰めれば、当然、なるべく多くの人と共有できるシステムが望ましいのは疑問の余地がありません。その意味で、現代は音質以前に先ずは共有の優先を図る、PC、ストリーミング、スマートフォン等のポータブルオーディオに大勢がシフトしてきました。今後はワイヤレス化も一気に進むでしょう。旧態依然としたピュアオーディオの価格的ハードルが(エントリークラスですらも)社会通念上は既に充分に高価でありニッチである以上、大勢と共有するのはなかなか困難になりつつありますが、それでも、共有の更に深いところにある共感をより深く味わう為に、可能ならばなるべく多くの人に少しでも質の良いオーディオ機器に触れて貰いたい。その入口となる選択肢を幅広く提示したい。

私はオーディオブロガーとして10年以上前の立ち上げ当初より、常にそれらを念頭に記事を書いてきたつもりです。しかしハイエンドオーディオは抑も極端に生産数が少なく、金銭的に恵まれていて特別に選ばれた限られた人達のみに享受が許された世界です。より多くの音楽ファンとの共有や共感を無意識的に拒絶しているとすら思える雰囲気を纏い、音楽の本質とは思想的立脚点が逆行しているものを持て囃やすことは、再生機材が向かうべき方向性として望ましいとはどうしても思えないのでした。

o-greenハイエンドオーディオは必要ない
"僕が自分の目で確かめてきた限り、ハイエンドオーディオにハマっている人って音楽ソフトをあまり持っていない人が少なくないんですよね。つまり音楽が好きなのではなく、ハイエンドオーディオそのものが好きだということ。"
かなり古くから指摘されてきているオーディオマニア七不思議?ですが、この逆相関現象には私の経験でも色々と思うところがあったりします。

以上が、箱庭的ピュアオーディオシステムの薦め"AUDIO STYLE"が、長年、ハイエンドオーディオ、特に近年になって自己主張を剥き出しにしている富裕層のみをターゲットにしたスーパーハイエンドについて積極的に肯定しない、取り上げない理由で御座います。実際には、ハイエンドオーディオの歴史上には個人的に魅力を感じる製品も色々とありますし、付加価値の提供に針が振り切ったビジネスのみならず、超高級機の存在意義として、各メーカーが持ちうる最先端の技術をコストを掛けて研鑽する場としての意味合いもありますから、ハイエンドオーディオ界隈には本質的に「本物」と「紛い物」が玉石混交で存在する点も含めて、それはまた別の機会に語ってみたいと思います。
《Last modified 2018/10/8》

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