レコード批評は難しいです。。。

そう云えば、管理人が音楽CDやレコードを購入する際、良く考えてみると音楽雑誌などに書かれているプロの音楽ライターさんが書かれた批評を参考にすることって実は殆ど無かったりします・・・。これは僕自身に、音楽や演奏に対する確立された価値基準が既にあって、ごく感覚的なものですが…それがほぼ揺るぎないからでもあり、わざわざ他の方の意見を参考にしなくても、いくらでも自分自身のの見立てで好きなレコードやCD(あくまでクラシック音楽限定ですけど)を集められるからでもあります。

px-Turntable

ですから、例えば音楽雑誌上ののCDレビューやインターネット上、或いは販売サイトにあるCDや演奏会のクチコミ批評等々は、普段、殆ど全くと云って良いほど読みません。でもこれはよくよく考えると別の理由があって、裏を返せば読む事で不愉快な気分になる事が、希にしばしば(謎)あるからなのかも知れません。。。(^^;)

的確で素晴らしいレビューが沢山あるのも承知しているのですが、沢山あるレビューの中に過度に批判的で見下し目線のレビューが一つ二つ混じっていると、それが気になってどうしても読んだ後に精神的に後を引いてしまうのです。。。なぜなら、「聴き手」としての批評家ではなく「弾き手」としての立場も含めてレビューを読んだ時、そういった批評記事からは、まるで世界が逆転して感じてしまうような、ある種の隔絶感を感じてしまう事があるからなのです。特に自分が素晴らしいと感じた演奏会や録音の事を妙にボロクソに書かれていたりすると、これはこれでやはりかなり気分が宜しくない。まぁ評価というものは自由ですし所詮は人それぞれだとは思うのですけれど、やっぱり、どうしても演奏者としての視点が働いて感情的な客観性が保てなくなってしまうみたい。。。

音楽を評論するのは本当に難しい事だとは思います。僕自身も含め、本人は善し悪しについて語っているつもりでも、他者には単なる好みの問題・・・好き嫌いにしか読めなかったりもする。抑も、音楽を批評する為には、極論してしまうとその音楽の作り手と同程度以上の音楽的な洞察力が必要であり、それが無ければ善し悪しなど正確に量れるはずもなく、そんな人間が論ずる良悪なんてのは単なる素人の思いこみであり、浅薄な独断と偏見的戯言に過ぎない筈なのです。が、何故か(特にクラシック音楽の?)音楽評論の分野では、何様のつもりか判らないような高飛車な批判をする輩がいたりする。。。もしかしてそんな権威的で高圧的な文章の方が一端の批評家っぽく…高尚に受け取られるのかしら???

自分の場合、25年間ピアノを弾いてきて、毎日音楽に浸りつつ色々と音楽に首を突っ込んできた経験から気付いたこと・・・それは

と云う現実です。だから怖くて他人の演奏のことは下手に批評出来ないのが本音です。勿論、演奏、演奏家の個人的な好き嫌いとかはあるのですけれど、演奏技術面、テクニック等のごく表面的な部分はともかく、表現のレベルで何が正しくて何が悪いか?などと、その芸術面と内面については私如きが烏滸がましくてとても語れる事ではありません。一流の演奏家と呼ばれる人々が音楽について考えていることの細やかさや哲学的な考察など、そのディテールの片鱗に少しでも触れてしまうと、どう考えても自分がそのスキルに技術的にも人間的にも達しない限り、理解出来ない世界がある事を否応なしに知らされる訳です。そのレベルに到達していない自分が、その演奏家に教えを請うことなく端から偉そうな批判をすることなど、どう考えても分不相応で本末転倒していますから。。。

この観点からみてしまうと、他愛のない一個人の「感想」というラインを超えて、善悪判断に基づいた一端の批評が出来るという事は、その批評家が無知蒙昧か、批評対象の音楽家を超える天才のどちらかだと思われる訳でして…。まぁ、プロ野球見ながらワイワイがやがや批判するのも、クラシックのCDの演奏評をするのも一緒だよ、そう難く考えるな!と云われれば、確かにそうなのかも知れませんけど。

でもね、やっぱり言っていることの正当性に関わらず、一方的に酷評されるのは端から見て気分の良いものではありません。しかもその本質が、無意識に”好き嫌い”というバイアスのかかった、権威的に客観を装った主観的評価でしかなかったりすると、結局は否定的な個人的意見に対する賛同者を求めつつ、評者の判断力の絶対的な正当性を認めさせようとしているだけ…というなんとも悲しい価値観に辿り着いてしまうようで…こうなると、もうどうしたものやら以下自粛ry

僕が良いと思ったり感動したCDや演奏会について、お薦めした方がそうは感じてくれない事も多々ありますし、僕が嫌いな録音やしらけた演奏会を大絶賛してくれる人もいます。当人の善し悪しなんてその程度のもので、所詮感じ方は百人百様な訳です。そんな主観的で感覚的な音楽をどうしても評価する時には、「良かった」「面白かった」「感動した」と感じる人々のプラス評価を集めていくしかあまり意味は無いのではと思考えてみたりもします。本質的な帰結点が「悪かった」というのみの意見は、例え正論であっても人々の心に不愉快さを残し、とどのつまり誰の役にも立たないし、一歩間違うと争い毎の種にしかなりませんよね。本当に良い音楽は人々のプラスの評価が集まることで自然と評価が上がり、あとは黙っていれば顧みられることなく消えてしまうのでは思っています。

編集:レコード芸術
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何が言いたいのか分からなくなってしまいましたが、クラシック音楽を聴く時は、出来ればもっとゆったりした気持ちで楽しんで欲しいという事です。批評家然とした視点で杓子定規に知識を振り回してこねくり回したり、背伸びをして知的に振る舞おうとしないで欲しいのです。普通、弾き手はそんな肩が凝るような聴かれ方を望んではいませんし、そういった自尊心の満たし方、お高く止まった視点からのオモチャにされるのは実は迷惑なのですよと。上から目線で酷評してやろうなんて思わずに、どうか皆様もっと音楽を愛してくださいませd(^_-)。以上、とあるネット上のクラシックの評論記事を読んで久しぶりにイライラしてしまった”AUDIO STYLE”管理人の独り言?でした・・・(滝汗)

コメント一覧 (3件)

  • トラックバックさせていただきました。
    この記事にはなかなか考えさせられました。
    僕はまったく正反対の意見ですが、自分にはない視点があり大変興味深く、また勉強になりました。
    どうもです。

  • damepoxxxさんはじめまして(^^)。
    ロックという違うジャンルの方が読んで下さるとは思ってもみなかったです。
    アレな内容なので消そうと思ってたのですが、レスが付いてしまいましたので残すことにします…。
    今回のこれは、けっこう限定的な内容で日記的に書き殴ったもので、
    私自身の批評活動に対して、自戒の意を込めて書いた部分が多く、
    思い当たる節があって不快に思われたり、グサッとくる方もいらっしゃりそうですね(滝汗)。
    私が(他人がこれを書いたとして)読んだらもろにグサッと来ますから……。
    というより、書きながら、これって自分で自分の批判じゃん…とグサッと来ますので(^^)ゝ
    ですので、直ぐ日記をトップページから下げたのですが、ブログはやっぱり観られてますねー(^^;
    日記に書いた内容は、
    私が好きなある演奏家の演奏に対してのア○ゾンの特定の酷評レビューを読んで、
    カチンと来て感情的に…。書いたものです。ですので、当然全てのレビューに当てはまっている訳ではなく、
    その意味で、客観的に捉えてしまうと半分は正しくて半分は間違っていると思います。
    レビューを書かれる人々の多くは、音楽に愛があって、
    その愛情によって評価したり苦言を呈したりしていますので、
    そういった気持ちの伝わるおおかたのレビューについて文句を言った訳ではありません。
    そうではなく、たぶん音楽でも”クラシック”という分野で特に強いものだと思うのですが、
    “権威主義的な思い込み”というか、何かとっても偉そうで高飛車な態度(文章)で
    否定的な意見を述べられるケースが、時折無防備な意識に飛び込んできて、
    鼻に付くことがあるんです。場合によってそういった偏った批判が、
    権威的口調の効果で良く知らない人達を信じ込ませてしまい、
    実際の演奏を個人個人がどう感じたかではなく、”自分が偉いと思っている誰かさん”による、
    言葉のバイアス評価(しかも-評価)が世論として一人歩きをしてしまうような事が、
    クラシックの世界では往々にしてありがちだと感じている事を言いたかったのです。
    音楽を大海の深さを知れば知る程、”自分は何も知らない””けっこう間違える”という事を、
    否応なしにより鮮明に深く自覚させられると感じる私としては、
    音楽に触れれば触れる程…結果的に考え方が慎重・謙虚に成らざるを得ません。
    これ自体がそもそも私の主観的な発想なのかも知れませんが…・。
    そうは感じていない御仁…音楽を知ることで逆に一端の気取り屋になってしまう人というのは、
    (まぁ、本当に初心者さんの場合は頬笑ましく見られますが)その方がどういう視点から
    音楽を捉えられているかは分かりませんが、きっと酷評された演奏家以上に洞察力のある天才か、
    さもなくば思い上がりの勘違い御仁か、どっちかではないでしょうか?と疑問に思うのです。
    …自分の過去を振り返った場合でも、”思い上がりの勘違い”によるいい加減な論評を、
    さもそれっぽく吹聴したことが多々ありますし_| ̄|○
    クラシック音楽がある部分難解な音楽であり、それ故に、聴き手がどうしても、
    ワインを選ぶ際のソムリエ的な指標・羅針盤となり得る”権威ある導き手”を欲しているのも事実です。
    ただ、そのアドバイザーによるバイアスのかかった権威主義的評価、あるいはマーケティングが、
    音楽ではなく言葉として一人歩きすることで、ある特定の演奏家だけが過大に評価されたり、
    有名でない演奏家の素晴らしい音楽に日が当たらなくなってしまったりするのが、一音楽ファンとして
    なんとも歯がゆいというか、悲しくて”いや、そうじゃないんだ!”と叫びたくなる時があるんです。
    (考えてみるとオーディオのブランド評価でもそうですね…・)
    本当のところ、音楽に言葉は要らないといいますか、そもそも、ブログで私自身が、
    オーディオ機器やレコードのレビューを書くこと自体がバイアスを生み出す元凶であり、
    言葉だけが一人歩きして(実物に触れていない人・或いは自分の耳に自信のない人々)の
    評価を左右してしまう事に成りかねない…と解っていながら確信犯でやっている部分があります。
    だから、こんな無責任な事をしているヤツがそもそも偉そうなことを言えた筋合いではないのです。
    深く考えすぎると禅問答みたいになってしまいますが…(´Д`;)
    その点も含めて、自分自身への自戒を込め、より謙虚で、より愛情ある目で…
    読み手に少しでも役に立てるような情報の送り手でありたい、
    情報の主観的な正しさ、善し悪しを伝えること以上に、”音楽への愛情”というもっと大切な事、
    これが皆さんに伝わるような書き手でありたい、
    こんな思いから先のような日記を書いてしまった次第です。

  • はじめましてです。
    やはり立ち位置の違う方の意見は勉強になります。
    青臭いことをぐだぐだ言っている自分が少々恥ずかしいです。
    ここに書こうとしたコメントが長すぎて投稿できないようなので、あとで文章を修正して自分のブログに載せておこうと思います。
    気が向いたら見てください。
    それでは。

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